世界の複雑さと向き合うための、シンプルな方法。『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか』著者・片岡大右氏インタビュー
■“炎上”を超えて、小山田圭吾と出会いなおす
――なるほど。2021年7月の炎上以前からこの問題を知っていた人の多くは、片岡さんと似たような状況だったと思います。
炎上の前までは小山田圭吾について、作品のファンではあるけれど、やはり「嫌なやつだったんだろうな」と印象を持っていた片岡さんが、当時のことを調べ直し、今回の本を書くまでのいきさつを教えてください。
片岡:2021年7月に「東京オリンピック・パラリンピックの開会式の音楽を小山田圭吾が担当する」と発表されました。上のようないきさつで、小山田というと「優れた音楽家だけど、過去のいじめ発言はどうなんだ?」みたいなことを折に触れて言及されていましたから、大炎上をする直前から不安がささやかれていましたよね。私も気にかけてはいましたが、「とはいえ昔の話ではあるし、これまでもNHKの「デザインあ」のようなパブリックな仕事をしてきたのだし、大丈夫じゃないか」くらいに思っていましたし、東京オリンピック自体は大歓迎していたわけでもないけれど、「小山田が音楽を担当するんだったら、開会式にはちょっと期待できるな」といった気持ちでいました。
けれども、あれよあれよという間に炎上して、結局辞めるということになった。そこで私も意を決して、本棚の隅っこにあった『QuickJapan』を読まなければならないと思い、ようやく開いてみたわけです。
そこから先は、この本に書いた通りです。確かにこの時の『QuickJapan』の編集者の意図は良くないですし、小山田も求められるがままに軽々しくいろいろなことを語ってること自体は良くないとは思いますけれど、それでも、「いじめ紀行」というタイトルにもかかわらず、この記事ではそんなにいじめの話をしてないんですよね。
自分自身がやったいじめの話はそれほど多くはない。『ROCKIN’ON JAPAN』の記事で一番ショッキングなのは食糞と自慰の強制のエピソードですが、「ウンコを食わせた」という話は出てきません。これは実際には、
――私もあの炎上の直後、SNS上で回ってきて『QuickJapan』の記事を読みましたが、コピペになった内容は片岡さんの言う通りですよね。
同じ記事の中で小山田が実際にやったいじめの話として、例えば小学生時代に「段ボール箱に障害のある生徒を入れて、黒板消しでバンバンはたく」みたいなことをしたと言っています。これらは胸を張れるようなことではないけれども、クラスに何人かいたようなよくあるいじめっ子の話ですよね。現代の学校がどうかはわかりませんが、小山田圭吾より15年ほど後の世代の私はそれより酷いいじめをされていたこともあります。
片岡:仰るとおり、小学生時代の小山田の行為はよろしくないですけれど、その障害のある生徒とは後に高校で再度同級生になり、席が隣だったこともあって、いろいろ話しかけるような仲になっていた……という話が『QuickJapan』のインタビューの中心になっていますね。
小山田圭吾が小学校から高校まで通った学校は、障害のある児童・生徒を積極的に受け入れるという先駆的な試みで知られていました。「いじめ紀行」は、そういった環境で自分がどう過ごしてきたかをありのまま伝えている、ある意味で興味深い読みものです。全体としては素晴らしい記事だと全然思いませんが、小山田圭吾の人間性のいいところもうかがえる記事だと思います。
このような経緯でオリンピックの炎上の直後にようやく『QuickJapan』の記事を読んで、「これがきっかけで炎上というのは、明らかに不当だろう」と思い、記事を何人かの知人と共有しました。その知人の一人であるkobeniさんは、小山田圭吾の炎上問題のファクトチェックをし、世に訴えていった有志の中心として活動されています。
ツイッターにも記事の写真を載せて、「小山田は優等生として過ごしてきたわけでは全くないし、確かに問題含みのところもあるけれども、芸術家としての小山田のその後に通じるような人間性もここには読み取ることができる」といったことを投稿して結構反響があったのですが、それを見た、以前から仕事で関わりのあった岩波書店の編集者・渡部朝香さんから、「岩波書店のnote「コロナの時代の想像力」で、小山田圭吾について書いてくれませんか?」と頼まれました。じつはこの時、同じ媒体に、前の年に亡くなったグレーバーについて記事を書きかけていたのですが、「これは緊急の案件だから、まず小山田圭吾について書いてくれませんか」と依頼をされ、書くことにしたんです。
依頼された当初は、「『QuickJapan』の記事を実際に読んでみると、そこまで言語道断な行為は出てこない」ということをちゃんと指摘しよう、くらいに思っていたんですけれども、図書館に行って昔のインタビュー記事や資料を片っ端から調べていくうちに、「この問題に本当にアプローチするには、もっと取り上げるべき側面や、論じるべきことがいろいろある」ということが分かってきました。
当初は2021年の7~8月ぐらいに5000字からせいぜい1万字くらいの記事を掲載する予定でしたが、そのような経緯で結局は2021年の年末から翌1~2月にかけて、今回の新書の元になった「長い呪いのあとで小山田圭吾と出会いなおす」という10万字を越える記事が公開されたんです。
――この問題について時間をかけて調べていく中で片岡さんが発見した論点が、副題にもなっている「インフォデミック」だったんですね。
今日は本書の担当編集者である藁谷さんにも同席してもらっています。藁谷さんは、どんな思いをもって本書を編集されましたか。
藁谷:片岡さんが言うとおり、この企画が「ただのファクトチェック」の本だったら新書としては企画しなかったと思います。
「インフォデミック」という言葉を聞いて「はてな?」と思う人もいるでしょうが、編集者としてはやはりこの本の射程の広さ・長さを伝えていきたい。それが伝わっていくには多少の時間が必要ですが、新書の場合は単行本と違い、一種のアーカイブとして棚に残りますし、バックナンバーという形でもアーカイブとして残ります。今すぐパッとわからなくても、「この問題って、こういうことだったのか」ということを伝える役割を持つロングセラーの新書になって欲しいと担当編集者としては願っています。